マイ・コンピュータ入門
0

[10]. マイ・コンピュータ入門

今回は、ブルーバックスからマイ・コンピュータ入門 コンピュータはあなたにもつくれるマイ・コンピュータをつくるマイ・コンピュータをつかうと共に、安田寿明氏の「マイ・コンピュータ三部作」として知られる本の一作目です。

本について

発行日を見ると、昭和52年(1977年)3月28日第1刷発行、同6月4日第5刷発行、となっています。

プロフィールを見ると、著者の安田寿明氏は、東京電機大学の助教授でらしたとのこと。

まだ一般の人にとってコンピュータが遠い存在であった時代に、中古の機器を買い集めてシステムを組んでいったりする様と、まえがきに次のようにあるように、未来像が描かれます。

いまのポケット電卓のように、やがて超高性能のコンピュータが、ふつうの家庭にまで行きわたるようになる。そればかりではない。電気冷蔵庫、ミシン、テレビジョン受像機にもコンピュータが組みこまれる。自動車もコンピュータで動かされるようになり、工場の機械やオフィスのタイプライターとか複写機まで、すべてコンピュータ化されるのだ。しかも、その方が、値段も安くなる。

第一章 “神”ではなくなったコンピュータ

この本におけるマイ・コンピュータという言葉は、次のように定義されています。

考えようによっては、そんな大きな変革をもたらそうとするもの。それがマイ・コンピュータ、略してマイコン。正式な専門用語では、マイクロ・コンピュータと呼ばれるものである。

マイ・コンピュータとは、ことばどおり、自分だけのコンピュータ、あるいは、私のためのコンピュータである。(中略)つまり、個人でも、コンピュータを持とうと思えば所有することができる。そういうことなのだる。

第二は、個別の機械のためのコンピュータという意味である。(中略)たとえば、インスタントラーメン製造装置は、小麦粉を練る機械、精めん機、熱加工機、包装機ごとにコンピュータ機能を持たせると、それだけきめこまかい生産管理ができるのだが、それは、あくまで設計上そういうことができる生産管理ができるのだが、それは、あくまで設計上そういうことができると考えるだけで、これまで実現不可能であった。(中略)ところが、いまや製めん機にコンピュータを付けても、それ自体、たいしてもったいないことではなくなったのだ。製めん機からみれば、そのコンピュータは、製めん機だけのためのコンピュータ、すなわちマイ・コンピュータなのである。

そして、コンピュータが、現代のデルファイ神殿からマイ・コンピュータ革命へ、という時代の流れが、次のような熱い筆致で述べられます。

もはや、コンピュータがガラス張りの部屋に置かれ、ひとにぎりのエリート・ビジネスマンやエンジニアだけがそれを操作する時代は終わった。仕事に使ってもよし、遊びに使ってもよし、場合によっては、なんの役にも立たないコンピュータを持っていても、それがムダなことだ、ぜいたくなことだとは考えられない時代がやってきたのである。

かくて、かつての巨大なバベルの塔にも似たコンピュータ、神さま扱いされたコンピュータは死に、だれもが気軽に使え、持つことができる、新しいコンピュータ時代がやってきたのである。そして、その新型コンピュータ ― マイ・コンピュータは、中学生でも、その気になれば、独力でつくることができるようになったのである。

これは、誰もがスマホを持ち歩けるようになった今の時代にも当てはまります。

そんなに大した使い方をしてないのにスマホを持つことをムダと見る向きもありますが、そんなムダも含めての、文化です。

第二章 マイ・コンピュータが生まれるまで

第二章では、電卓やマイクロ・コンピュータの歴史や仕組み、さらにはトランジスタやLSIについても触れられます。

電卓については、ビジコン社のエピソードが取り上げられています。

元々、電卓の機能は、回路として組まれていたようです。しかしそれだと、開発に手間がかかって、安くなりません。

であれば、機能をソフトウェアとしてプログラムできるようにしておけば、開発の手間をずっと少なくできる、と、ビジコン社は考えたようです。

いいかえれば、“白紙の本”に相当するLSIを大量生産しておく。そこに開平計算の手続きを書き込めば“ルート一発”の電卓になる。標準偏差や微分方程式を解く手続きを書き込んでもよい。

いわば頭脳を白紙にしておいて、必要に応じて頭脳になにかを書き込むという考え、これをプログラマブル(プログラミング可能)といい、汎用大型コンピュータの基本的原理なのである。ビジコン社は、このアイデアをもとに、それを具体化してくれる半導体メーカーをさがしはじめた。しかし、中小企業のアイデアなど、どこもとりあげてくれない。

今となっては当たり前のアイディアですが、そう思えるのは、既にそういうものが世の中にあるからで、そうでない中で思いついたのは、偉大な発明です。

結局、このアイディアに乗ったのがアメリカのインテル(今は世界に名だたる大企業ですが、当時は、まだちっぽけな半導体メーカーでした)で、そして生まれたのがi4004

そして次のように述べられます。

このような経過をみると、マイクロ・コンピュータは、まず日本の電卓メーカーでアイデアが生まれ、そしてアメリカのICメーカーで実用化されたという事情が明らかになってくる。せっかく日本で考えついたものを、なぜ日本で実用化しなかったのかと残念がっても、それは過去へのくりごとにしかならない。日本社会の風土が、そうなっているのだから、これはもう止むを得ない。

この「日本社会の風土」については、この章の冒頭に、どういうわけか、日本人は中小企業をバカにする気質がある。たかだか、ただの機械にしかすぎないコンピュータを“神様”あつかいすることからもわかるとおり、権威のあるものだけが大好きだ。とあります。

大量生産により誰もが安く手に入れることが可能になったマイクロ・コンピュータは、中央集権的・権威主義的な大型コンピュータに対する、コンピュータの民主化であったわけで、権威にすがっていては、なかなか斬新なアイディアは育たないかな、と思います。

第三章 マイ・コンピュータのつくりかた

中古のミニコンの広告

三章では、著者がコンピュータを手に入れていく様が描かれます。

当時の中古屋さんの広告が載っていますが、結構な値段がしてますね。

最初のコンピュータは、リース業者から、減価償却終了のミニコンピュータを手に入れた、とのこと。ちなみにミニコンピュータは、簡単に言えば冷蔵庫ぐらいの大きさのコンピュータ。今から見るとちっともミニではないですが、基準となっているのが部屋一つぐらいのコンピュータなので、それから見れば、十分にミニ。

そして話は、自分で組み立てるコンピュータ、DIYキットへと向かいます。

DIYキット一覧

DIYキット、コンピュータが10万円以下で買えたわけですが、最初の頃のものは、それだけでは使えませんでした。それ自体には、入力したり、表示・印刷する機能はなく、使うためには、別に端末を付ける必要があったからです。

DIYキットは、もともとがOEMでの評価・トレーニングが目的で、OEMなら、アメリカのテレタイプ社製のテレタイプASRモデル三三という機械が一台や二台、必ず存在しているという前提で作られていたために、単体では使えなかったようです。

このASRモデル三三については、次のようにあります。

また価格も安い。といっても、それはアメリカの話で、日本国内では一台七十五万円もする。中古機を血眼になってさがしまわっても、三十万円ぐらいで入手できれば運がよい方である。しかるに、はじめのころ、DIYキットは、このASRモデル三三を連結することが必須条件だったのである。

(中略)

それに、無理してテレタイプを買ったとしても、この機械、とてものことではないが、マイホームに持ち込めるしろものではない。そう大きなものではないが、運転中は、なんと七五ホンから八〇ホンの騒音を発する。

…最初はなかなか大変だったようですね。

その後、日本電気からTK-80、東芝からEX-0という、それ単体で使えるキットが出たことで、アマチュアでもコンピュータを使えるようになったとのことです。

第四章 電子音楽への応用

四章では、コンピュータの音楽への応用として、エレクトーンをコンピュータで鳴らす、ということをしてます。

エレクトーンの各キーの下にはスイッチがあるのですが、このスイッチに、リレー(継電器)という、別の電気信号でオン・オフが可能な電気スイッチを並列接続する。そのリレーをコンピュータからの信号で制御すると、自動演奏できるということです。

単純な仕組みではありますが、確かにこの方法なら、コンピュータでエレクトーンの音のオン・オフを制御できますね。

ただ、この方法だと、キー1個にリレーが1個必要で、百個以上のリレーとなると、結構な費用がかかってしまう計算になります。

それが、秋葉原のスクラップ専門店で、リード・リレーが大量に売り出されているのを見つけたことで、安く大量に入手することに成功し、めでたくエレクトーンの自動演奏システムを製作されたそうです。

あとは、シンセサイザーやD/Aコンバータについての記述が続きます。

第五章 マイ・コンピュータの拡張システム

五章では、コンピュータのインターフェイス等について書かれていますが、アマチュア無線でネットワークを構築した、というのが、面白いですね。

通信の仕方としては、モールス符号での送受信と、あとはラジオ・テレタイプ通信なる方式もあるそうです。

この時代に、東京に点在する仕事場を、無線によるネットワークで繋いでいた、というのは、なんだか不思議な感じがします。

第六章 テクノ・クラフト・アートの時代

六章には、さまざまな現状や展望がかかれています。

その中で、あらゆるもの、特に自動車にマイコンが組み込まれていく展望を描いた部分があります。

それは、あらゆる機械に鉄が使われ、モーターが使われ、電気・電子回路が使われているのと同じく、マイクロ・コンピュータによる組み込みコンピュータが、基幹的部品になることは、まちがいないからである。すでに日本でも、家電製品には高級ステレオ・テープ・デッキに組み込まれ、五十一年末から商品化発売されたのをはじめ、テレビジョン受像機にも、まもなく標準装備されるようになる。電気冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器など、マイクロ・コンピュータを使わない家電製品は、ひとつとしてないというほどになろうし、数多くの産業用機器も、すべてそうである。(中略)

自動車のどこに、コンピュータが必要なのであろうか。

第一に燃料噴射制御機構である。エンジンの回転速度に合わせ、最適の混合比と点火時期を決定する。低公害車実現のための有力手段のひとつとされている。

第二にコンピュータ制御の自動変速機がある。熟練ドライバーや、レーサー以上の変速シフトを手動でなく自動でおこなってくれる。

第三に仕業点検だ。半ドアやシートベルトの装着状態、エアコン、フォッグランプ、オートデフォッガー、燃料計、冷却水温・水量計、スピードメーターなどの常時監視と制御を、人間にかわって、すべてやってのけてくれる。

圧巻はスキッド・コントロールだ。急ブレーキをかけたとき、高速道路のハイドロ・プレーン現象や凍結路面でも、自動車を安全に停止させる技術である。サーキット・レーサーが急ブレーキ時に使うポンピング操作をコンピュータがやってのこけるのだ。一秒間に数回、ブレーキを踏んだり放したりする。こうすれば後輪がロックされず、尻振りや横すべりすることなく急ブレーキがかけられる。コンピュータは、路面状態と後輪回転数を検出し、制動・制動解除を繰り返しながら停車させていくのである。

実際、車を含めて何でもマイコン制御で成り立っていますね。マイコン自体、買っても安いです。

また、ソフトウェア文化については、次のように書かれています。

ところが、マイ・コンピュータの分野では、これを無料化するのが慣習になりつつある。(中略)マイ・コンピュータに限り、どんな高級なプログラムであっても、それを模写するテープ代とかコピー料金だけを負担すれば、自由に入手できる流通市場が形成されたのである。

今で言うフリーウェアですね。フリーウェア自体は、ネットが発達する前からありました。

そして、文化的な批判についても触れられています。

マイ・コンピュータの普及に対するもうひとつの批判がある。(中略)都会的、文明的孤独を深めるだけではないかというものである。

これを著者は、活字文化の発展と結びつけ、ひとりひとりに書物が行き渡るようになったことに寄せています。そして、

マイ・コンピュータの出現は、この輪転印刷機の発明に匹敵する。富裕な大企業、官公庁の独占から離れ、コンピュータは市民の中へとひとり歩きをはじめたのである。

と、民主化されるコンピュータへの熱い思いが、記されています。

爆笑問題の太田氏は、二宮金次郎像(薪を背負って本を読みながら歩いている像)について、「『本を読んでて偉い』と見られるが、彼にとっては本を読むのが楽しみだったのではないか。ゲームボーイをしながら歩いてる小学生と変わらないように見える」という旨のことを言っていましたが、まあ、そういうことです(…とはいえ、ながら歩きは危険です)。

おわりに

今読んでも、面白い本です。ハンダゴテ持ち出して何か作ろうかな、という気にもなってきます。

今やマイコンは、ほんの数百円で、それなりのもの(かつてのミニコン以上の性能のもの)が買えますからね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です